アメリカ人ってみんなだまされているんじゃないかということをよく思う。
みんな夫婦で馬車馬のように働いて 休日にやることといえば大きなショッピングモールに買い物に行って 何かを買う。
こういう何もかもが出来上がっちゃった国ではそれ以外に楽しみを見つけるのが難しいんじゃないかと思う。
どの草むらもどの山も誰かの所有物で足を踏み入れるとへたすると撃たれてしまうくらい。
市や州に管理された山や湖、海岸に入るには10ドル近くの駐車代金が取られる。魚を釣ろうにもライセンスを取らなくてはいけない。
みんなの目標は大きな家に住んで たくさんの家具を買って 休みのたびにまた何かを買いに行って 家にものがあふれたらスリフトショップ(リサイクルショップ)に寄付して
また新しいものを買う。
スーパーに行けば 2つ買えばもうひとつタダ。
セーブ マネー!!
そしてたいして必要のないものをどんどん買っていく。
お金を使って「セーブ マネー?」ぜんぜん意味がわからない。
けど少しでも安く買えることを セーブマネーというらしい。
量販店で安いインテリア用品を買って 柄や色に飽きたら全部捨ててまた買い換える。
こどものおもちゃも一緒。次から次に新しいプラスティックのおもちゃを買ってはすぐに飽きるのでまた買い換える。
これが資本家にとっては一番儲かるのだろう。
なんでこんなに飽きるのかを考えてみたことがある。
まず素材がチープすぎる。
作っている場面を想像してみる。目をつむると
中国とかアジアのどこかの巨大な工場で何万個 何十万個と同じものを ずらっと並んだ工場労働者がつまらなそうに一言も声を発さず作っている。
(ベトナムにいた頃工場に見学に行くと 何人もの若い女の工員たちがおなかが痛い 頭が痛いといっては トイレ休憩に行っていた。)
そんな非人間的な環境で作られた製品に魂がこもるわけが無い。
職人ができあがるものを想像しながらこころを高揚させ
気持ちを集中して作ったおもちゃには魂が宿っている。
いつみてもその美しさに感動するし みればみるほど手放したくなくなる。
心をこめて作ったものは人にも伝わるし、自分が心を込めて作ったものはもちろん手放したくない。
売るとしたらそれにかかった時間とエネルギーとそれに対する愛情や愛着を換算した値段になる。
となると 心のこもった魂のあるものはそんなに安く出来るはずがない。
魂の抜けたようなチープな製品だけに囲まれて暮らすと
人間の心まで貧困になる。それはまるで造成されたばかりのがらんとした非人間的な学園都市で昔自殺者が続出していたように。。。
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