Phoenix フェニックス 再生
L.A
突然ですが。。
この空を見てください。
http://ishiiyoshika.typepad.com/photos/sakura/phoenix.html
写真はここで見てください。
これはロサンゼルスで、幼なじみの友人に15年ぶりに再会して、スターバックスで
コーヒーを飲んでいるときに偶然発見したもの。空を見上げたら、空の右から左まで一面ににフェニックスの形の雲。「あーー」っと声をあげ急いでその彼女のカメラで写したものです。
このアメリカへの旅をした目的っていうのはネイティブアメリカンに会いに行くというものでした。
このブログにも書いていますが彼らの本を読んでから彼らの深い精神性に惹かれ、何ひとつつてはないけれどどうしても、この目で彼らを見てみたいとニューメキシコ周辺への旅に出ました。以前に読んだ記事の中で、ネイティブインディアンにとって雲というのが大きな意味を持つというのがありなんとなく惹かれてはいました。そしてフェニックスというのは特別な意味があるというのも知っていました。が、まさか自分で見るとは思っていませんでした。
ニューメキシコのタオスというところにユースホステルに着いたとき、フィリピンか、インドネシアか、どこか東南アジアあたりの人だろうなと思って話し掛けた人が偶然「僕はナバホインディアンだよ」というので「雲は読めますか?」と聞いてみました。「読めます。だけど、実際その写真を見るまでは何ともいえません」と厳しい顔。
わくわくしながらも少し不安な気持ちでこの写真を見せたとき「うわーーこれはフェニックスだ。翼もあるし、背骨もあばら骨も尾も、頭もある.フェニックスはわれわれのカルチャーでは再生 REBORNをあらわす。君は完全に生まれ変わり、この旅は完全に守られ、家に戻るまでの旅路完全に安全が守られるだろう」と彼は言いました。
この彼、カナダのずっと北の方のインディアンと会いに行くという旅に一度参加したことがあって、その時に何千マイルも離れた他のインディアン問題なく意思疎通が出来たことにめちゃくちゃ驚いたいう話をしてくれました。「自分達の先祖はコロラド川を渡ってずっとやってきたんだ。」といいました。
そして「インディアンは昔、アジアにいて、ベーリング海峡までいった。だけど殆どの人は怖がってその先を渡らなかった。だから勇敢なものだけが、ネイティブインディアンになったんだ」とも言っていました。
その後私は、タオスのそのユースホステルの外でおまじないみたいなのをしているインディアンの青年を見かけたのでコロラド川まで連れて行ってもらいました。薬草の話なんかも聞きました。
がけの下を1時間ほどずっと歩いて彼はものすごく疲れていただろうに持っていた水を全部私にくれました
水を飲まなくて大丈夫なのかと聞くとそういうことに耐える為の訓練は日ごろからしているので、大丈夫だ
といっていました。なんか昔の野原で野性的な武士に会ったようなそんな感じ。ものすごい強い芯を持っている人だと思いました。「地域の友達はみな都会に行ってしまった。残っているのはほんの数人。僕はおじいさんおばあさんからインディアンの言葉を習ったから今でもちゃんとインディアンの言葉を話せる.数少ないインディアンになってしまった。」と見渡す限りの荒野でいいました。
このコロラド川のがけの写真、家にあるけれど
ものすごい。今思い出すだけでもなんか夢の世界というか壮大な
信じられない世界。。
ところでニューメキシコのタオスはインディアンや他のいくつかの宗教の聖地。ヒッピーの発祥の地で今は芸術家のコミューンになっているところ。
「コーポレートアメリカが嫌いなやつが集まっている、アメリカで一番アメリカらしくない町」というほどとてもスピリチュアルな場所。最近はアメリカのお金持ちがこぞって土地を買い、プリティーウーマンのあの女優さん(なんてなまえだったっけ)が、双子を生んだのもこの町(確かにお金がいくらでもあって自分の子供をできるだけ環境のいいピュアな場所で生もうと思うとここになるのかも。。)、ラムズフェルドもこのまちに家を買って「似つかわしくない人がこのまちに来た」と町の人はあまり喜んでいない様子。土地の値段もサンタフェと並んで高騰続けています。
車にも、戦争反対、ブッシュ政権反対のステッカーを貼っている人が多く、最先端のエコロジーハウスなんかも色々あってすごく不思議なまちでした。
このタオス、ついたとたん私は気分が悪くなって倒れてしまったんだけれど後で聞いたところによると、標高が4000メートルのところ。風景も信じられないくらい美しい。不思議なのはこのタオス。私は名前さえ知らずに来てしまった。今考えると何でだったんだろうと思うほど、特に目指したわけでもなくこの旅の殆どの時間を過ごすことになった場所です。
別に絵が上手い訳でも。陶芸自宅兼、スタジオ兼、お店というような丸太小屋で一日中芸術活動をしながら
「ぼくはアーチストだ。」と言う彼ら。しかも決してうまいわけでもない。勿論すばらしい写真家や陶芸家も一杯集まっています。そんな人からどう思われるかより、自分を主体にした暮らしは最高に贅沢だと思いました。
今思うとこの旅はやっぱり私に「再生」に値する何かを与えてくれたようです。。
今日 2005年11月9日、改めてこの写真をみてみましたがやっぱり何かすごい気がします。。
きれいな空ですね、吸い込まれます。
ヨシカさん、
私のライブドア社ブログだと他社ブログとのリンクができる機能を見つけたので、海外・語学に関係のある友人ブログのリンクを始めました。ご確認ください。このように載せてもよろしいでしょうか?ご確認ください。
アメブロは他社リンクはできないようなので、ターゲット層違いで、後から始めたライブドア(内容はほぼ同じでHP内の講師ブログもこちらにつながります)ですが。
あくまでも両ブログ共私はハンドル名だけでやっておりますので、ブログ上では、ライブドア社がpositivegoer1、アメブロではgenkihasshinnchiで、語りかけてきてくださいね。
投稿情報: positivegoer1 | 2005/11/12 09:38
リンク有難うございます。
すごいですね。
英語学校を経営して、先生もしながら
子育て、そしてブログも
頻繁に更新されていて頭が下がります。
私の友達でも上級英語を習いたい人がいたら是非声を掛けてみますね!
それではまた
投稿情報: 石井良佳 | 2005/11/12 16:35
positivegoer1さん主催の
英語学校はこちらのHPです。
http://members.jcom.home.ne.jp/mscomms/
NY仕込みの美しい英語なので
本格的に英語をブラッシュアップしたい方にもお勧めです。
投稿情報: 石井良佳 | 2005/11/12 16:39
yoshikaさん、↑教室HPの直接宣伝までして頂いて恐縮です。対象はHP読んで頂いてわかるように初級~中級レベルです。現在自営でアート関係の輸入業、看護士さんなど、わがまま開講時間のため会社員の方は難しいのですが、平日昼間の時間にお休みのある働き方をされてる方や、長期出張や海外転勤についていかれる奥さま、working holidayや留学直前指導など。。が必要な方々がターゲット層となっていていらしてます。
投稿情報: positivegoer1 | 2005/11/13 15:29
その時のアメリカの旅は
インディアンの思想に触れたいという強い願いだけがあったけれど別に何の伝も無く、ただニューメキシコのアルバカーキ-、サンタフェ、タオスという具合にたどり着いてしまった。
タオスで「パウワウというインディアンのお祭りがちょうどこの週末に会って
あちこちの州からインディアンが集まってくるんだ。」と聞いた。
いってみると前日の夜からキャンピングカーやモービルハウスなどにテントを乗せて早朝から準備をしていた。
昼間にちらりとよってみたら灼熱の太陽の中机のように日焼けした人たちが座っていて、私もすぐにあんな色になりかねないだろうといそいそと帰ってきた。
その夜お祭りに行ってみた。インディアンたちが華やかな伝統衣装に身をくるみ
輪の中で踊っていた。
ぼーっとつったっていると中に入りなさいと入れてくれた。ちょうど日本の夏の盆踊りとか夏祭りに酷使する見覚えのある空間だった。
帰り際に踊りの場所の外側をあるいていると「うちのひ孫はどこだ」「あそこに君の孫がいるよ」と言うようなインディアン同士の会話が聞こえてきて
そこにいる人たちの大きな家族のつながりがしっかり感じられた。そして
私は突如物凄い孤独感に覆われた。
私は旅が出来る。こんな遠くまで飛行機とバスを乗り継いでくることが出来る。だけど私の周りには両親も祖父母も子供も孫もいない。どうしようもなく一人ぼっちの気持ちになった。
たまたま迎えにきてくれると申し出てくれた友達も、この雑踏の中で私を見失ったようだ。
電話も出来ないし、もちろん公共の交通機関なんてない。。
仕方なく、私はそこらへんにいたパトカーに事情を話して宿まで連れて帰ってもらった。
アメリカというこのだだっぴろい国は、迎えにきてくれる人とはぐれただけでポリスのお世話にならなければならないのか。。。
パトカーの中でポリスは、この町の若者は何もすることが無いのでいろいろ犯罪に手を染めだしていること。なんかを話してくれた。
宿に戻るとみんなが心配してくれていた。なかなか戻らないから心配した。
と見ず知らずのアメリカ人がみんな
肩を抱いてくれた。
このだだっ広い大地では人のあたたかさが骨に染み入る。
パウワウで突如寂しさに襲われた話を
後日、フラッグスタッフというグランドキャニオンやセドナへのゲートシティーにいったときに宿の受付の小父さんに話した。
すごく良かったけれど、自分が家族とも先祖ともつながっていないでポツリと一人でやってきただけと言うのがとても寂しくて涙が出てきた。。
と言うような話をすると
ありがとう。貴重な経験をシェアしてくれて。。。
とかなりプライドが高くて気難しかったその人がいったのには驚いた。
投稿情報: 石井良佳 | 2005/11/29 01:07