昨日、ベトナムにある「ひろば」と図書喫茶(?)みたいなお店に入った。
お店に入ってすぐ、戸棚の本を見回して手にとってみたのは天外伺朗さんの 宇宙の根っこにつながるひとびと
という本。今まで考えていたことがぴったりとつながった感じだ。
この人は科学者で、宗教と科学についての話をしている。
気がついたら2時間たっていた。
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以下 抜粋
宇宙は素粒子より小さな状態から始まった。
私たちはこの世で生きていながら同時にあの世でも生きており、「この世」に生まれる前も死んだ後も、
いつでも私たちは「あの世」に存在する。本当の自分自身というのは時間も空間も、生死も超越した存在。
あの世とは死んでから生きる世界ではなく、今も同時に存在しているもうひとつの見えない世界のこと。
時間、空間、物質何もない世界
すべての物質、精神、空間、時間が畳み込まれて分離不能になった状態
今の宇宙つまり見える世界(明在系)はあの世は見えない世界(暗在系)。
宇宙が全体としてひとつの生命体であり、その基本が無条件の愛であるとしたら
そこはなんともいえないほど居心地のいいところ。
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そういえば、父が死ぬ前私は、立花隆の臨死体験を読んだ。
その本には多くの人が臨死体験をしたときの様子を「おばあちゃんのあったかい膝元に寝転んだような
それがもっともっと暖かくて幸せな感じ」というような表現をしていたことを覚えている。
父が末期ガンであと2,3ヶ月の命しかないというとき、父はすべての治療をことわり
死を迎える心の準備をしていた。
ホスピスに入る前は結構、精神的に追い詰められていたようで「お酒を飲まなくては眠れない」と酒ビンを持って歩いていたのを覚えている。もう少し経つと「まるで死刑囚になった気分だ」とも言っていて、やっと私も父の気分がわかるようになった気がした。
ホスピスに入った直後は、いろんな民間療法をやったりもしていたが「死ぬ用意をしているのに
この世の世界に引き戻さないでくれ。引き止められているみたいでつらいんだ」といっていた。
だんだん回りも無理にアロエベラを飲ませたりびわ療法を薦めたりというのも、無理強いしているみたいで
結局、もう父の死の用意を静かに見守るということしかできなかった。
そんな時病室で私は何を話すべきか考えた。
死の世界っていうのは実は怖くないらしい。ということを伝えたかった。
「死ぬ時ってね、すごーいあったかい光に包まれるんだって。おばあちゃんのひざをもっともっとあったかく
したようなものすごく暖かくて幸せな気分になるんだって」
というと「ふーん」とだけ言った。
もともと見えない世界は一切信じない父。
私がテレビでオカルトや宜保愛子の番組を見ていると「お前をそんな低次元の人間にするために大学までやったつもりはない」と激怒してテレビを切ってしまうほどだった。
だからどうせ「そういう臨死体験の恍惚感なんてどうせ脳内ホルモンの仕業だ。」
なんていいかねないところだまって「ふーん」とだけ言っておとなしく黙っていた状況は今でも頭に焼き付いている。
父がなくなる2日前に突然「息苦しいんだ、人がいると。。。。出て行ってくれ。すぐ。」といわれた。
今まで熱心に看病してきたつもりなのに突然荷物ごと追い出されて呆然と、抜け殻のようになって
家に帰った。車で家の車庫についても家に戻る気になれず、車のエンジンをつけたまま、疲れからか
気がついたら車の中でぐったりと眠ってしまった。時計を見ると3時間ほど過ぎていた。
「出て行ってほしい」といわれた後、病院にいくこともできずに手持ち無沙汰なまま2日を過ごした。
いつまでこんな生活が続くんだろう。。25歳の私はまったく将来なんて考えることも、想像すらつかなかった。
そんな時父が昏睡状態に入っているとの連絡を受けた。
病室に入ったとたん、これはもう危ないと思った。モルヒネを手元のねじで止めた。すると今まで見たこともない鬼のような形相でこちらを苦しそうににらんだ。あまりに恐ろしくてかわいそうになってまたモルヒネを戻した。
すると静かにまた昏睡状態に入った。
弟が東京から呼び戻された。
私はもう今夜が山だと思った。
どうか母と弟に一緒に病院の宿泊室に泊まって行ってくれるように頼んだ。
今夜だけ、みんなで一緒に泊まってくれと泣きついた。
弟がどうしても家に帰りたいというので、じゃあ明日は絶対に。と約束して母も帰っていった。
その日の朝型、うとうとと病室のソファーで横になっていると看護婦さんが、よしかさーーん、お父さんもう行きますよ。といっていた
あごが下がったらもう危ないと聞いていたが、みてもあごがさがったかどうかなんてわからない
急いで携帯から家に電話してすぐに来るようにと泣き声で早口に言った。
その何分か後、最後の息をごぼごぼごぼとしたあと、息を引き取った。。
「もう亡くなった。
逝くときのための一番言い服を持ってきて。といった」
母は「そう。。。どうしよう。どうしよう。あの服かしらそれともどうしよう」
とパニックになっていた。
若い医者が来て私の顔を覗き込みながら「ご、臨終。。。です (よ) ね?」と言った。
私は首をたてに振っただけで泣いていた。
その後は体中からあらゆるコードやパイプがばさばさとはずされていって、シーズだけがかぶせられて
あれだけ看護婦さんやらお医者さんがばたばたと入ってきてくれていた部屋はしーーんと静まり返った。
今までは病人がここに一人いたのに、息が途絶えた瞬間から、ただのひとつの物質として扱われていった。
今まで話しかけていた人が、時間が1時間2時間と経つにつれてものみたい扱われるようになっていった。
あわただしくいろんなことが過ぎて、父の体は冷凍の魚みたいに冷たく硬くなってしまった
父は聞いているのだろうか。父は見ているのだろうか。。お葬式場にひとりで箱に入れられて寂しくないだろうか。寒くないだろうか。。氷の上におかれて冷たくないだろうか。
そんなことはもう誰も気にしない。
箱の中の父を置き去りにして家に帰るのはつらかった。
だけどそんなことはもう誰も気にしない。
あれだけ口うるさくて、話好きで ひとなつこかった父が。これだけ人がいる中で黙って眠っている。
みんなは好きなことをああでもないこうでもないといろいろ話している。
父は聞いているのだろうか。見ているのだろうか。
父の体が冷たくなって私は混乱していた。どこにいっちゃったんだろうか。
体の中でまだ聞いているのだろうか。それともここの上か横辺りで聞いているのだろうか。
火葬場に行った。一番行きたくないところだった。耐えられるかどうかわからなかった。
親戚のおばちゃんも。あなたが耐えられるか一番心配だった。と後で言った。
火葬場の控え室は結婚式場にも似ていると思った。
家族や親戚が集まって座っている
給食のお皿洗い機みたいだと思った。
流れ作業で人間も焼かれていくことに驚いた。
骨の拾い方をまるで、デパートの実演販売する人みたいにぺらぺら説明していた。
テレビで落語でも見てるみたいだった。
ベルトのバックルとかめがねでしかもう誰かわからなくなった。
骨壷に入る分しか骨を持ってでなかった
ほかの骨はどうなるんだろう?
そのまま捨てられちゃうの?
とめられるのを振り切って今いたところに戻った。
かき集められるだけの骨はすべて集めた。
親戚も手伝ってくれた
その骨どうするの?
と聞かれた
わからないけど、ごみみたいに捨てられるのはごめんだと思った。
火葬場から帰って私は予想外にとてもすっきりした気持ちになった
もう父はここにはいないんだ。と言うことがよくわかった。
肉体がそのまま残っている間は、父はまだ肉体の中に閉じ込められているとしか思えない
中でみんながものみたいに扱うから気が気じゃなかった。
これで肉体と精神はまったく別のものだとわかって気が軽くなった。
あれだけ忙しい毎日だったのに、突然することがなくなって
なんの役にも立たないのに一日、一日ただ生きているような気がした。
たった3日前、たった5日前、たった1週間前、たった1ヶ月前、たった1年前たった2年前
の生活が全部夢みたいだとおもった。
今生きていることも夢みたいだと思った。
今日寝て明日起きたら全部あれは夢でした。って言われてもそうかなと思うような気がした。
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ちなみに
(これは夢について。。。と言うところでも書いてます)が、
この本でも「この世と言うのは人間が生み出した幻想に過ぎない」というのが唯識論の一番のポイントだと書いてあります。
仏教では 色即是空 (形あるものは 形のないものであり) 空即是色(形のないものは 形のあるもの)
と言われている。
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あれだけ「最後は絶対に連絡するから」といっていたくせに、追い出されてそのままなんていくらなんでもひどいじゃない。と父が亡くなった後も、釈然としなかった。約束を破られたままほったらかしにされているみたいだった。
一週間後、お通やもお葬式もすべて終わって、やっと父の死を静かにうけいれられそうになったころ
2歳年下のいとこが、お線香をあげに来てくれた。
私は、父の遺影の前で、父が亡くなるまで毎日つけていたノートを開いて、こうだったんだよ。ああだったんだよ。
と説明していた。そのうちにあーーー。となんと私が追い出されてから、父が昏睡状態になるまでの間の記録が書かれていた
よく覚えていないけれど
日曜朝9時 サンデーモーニングを見る うつらうつらと眠りに入る。何年間も眠ったかと思ったら30分しか過ぎていなかった。もうあと1回眠りに入ったら
そしてお花畑?が見えるのか?
そして 最後なのだろうか。。
ジュースを飲む。
うつらつらする
なんという恍惚感、幸せな気持ち、全知全能(神)の存在を信じなさい。。。。。。
父のなくなる1日前看護婦さんから、父がクリップボードがほしいというようなことを言っている
といってクリップボードが差し入れられた。
その紙には複雑な偏とつくりがめちゃくちゃに混ざったようなまったく解読不可能な文字が何度も何度も何度も
かなり力強い字で書かれていた。見たことのないような文字で気持ち悪かった。
最後まで何かを私たちに伝えようと必死だったのだろう。
父は、長崎のカトリックの家に生まれて幼児洗礼を受け、幼児期からキリスト教の罪と罰、天国と地獄の
教育を受けている。
だから恐ろしく、
「今日は魚を釣ったけど返してあげたね、今日はザリガニを川に戻してあげたね。今日はいい事を全部で5個したね」
だから近所の人がよその人の庭のせりの葉を取っているだけで「あの人は悪いことをしているよ。よーくみておきなさい。なんて二十歳を超えた私に言うくらい、善と悪についていつもはっきりとした基準を持っている人で
そんな父は善悪というよりみんながしているかどうかのほうが善悪の基準になってしまう日本では
かわいそうだと思った。
些細な不正も許せず
ただ、いいと思っていることはとことん実行する。外で見ず知らずの人が困っているときも考える前に手が出て危機一髪のところを救っているのを何度かみた。そういうところは正義感の塊みたいで子供の目から見ても相当かっこよかった。
めちゃくちゃ頑固だけど、人一倍「正しく」生きてきたはずの父はがんになったことで
神から罰を下されたんだと思ったのだろう。がんになって余命がわずかだと知ったときは
人一倍生真面目なほどに「善」を行い「悪」を懲らしめる生き方をしてきたこの自分がなぜに
神に罰されることになるんだ。と不思議で仕方がなかったに違いない。
「善」とは「悪」とは。。。何度も考えたに違いない。
ある日父はこんなことを私に言った。
神が生かしているということは生きるということ自体が善。そして生きることが善ならば、「生き生きとまさに生きているように生きることが神の願っていること。そしてまた回りにいる相手をも生き生き生きることができるようにすること」
それが「善」なのだ。
とある日父は結論付けた。
それは宗教を超えて、シンプルでわかりやすく、
それ以来、私の生き方の一番の軸となった。
父が死んでからいろんな本をまた読んだ。
自殺をしてもそのときの精神状態であの世に行くだけで本質的には何も救われないこと。
あの世に行った人でも、自由に形を作って出てきたり、自由な年齢になったり、自由な着物を着たりすることができること。こちらの世の受け手次第で、交信することもできること
なんかも子供を亡くした親たちのホームページで読んで知った。
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これはこの本に書かれている「本当の自分自身というのは時間も空間も、生死も超越した存在」
「あの世とは死んでから行く世界ではなく、私たちが生きている今も同様に存在しているもうひとつの見えない世界のこと」
私たちは「この世」で生きていながら同時に「あの世」でも生きており、「この世」にうまれる前も死んだ後もいつでも「あの世」に存在している
人はまばゆい光、あたたかさ、懐かしさ、大いなる愛に包まれた光の世界から肉体と言うカルマを背負ってこの世という目に見える世界にやってくる。
と言う部分と重なる
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この何年間かに体験してきたことすべてがパッチリとパズルのようにはまった気がする。
私のつたない文章と体験ではなかなか伝えきれないのでぜひこの本を読んでください。
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