パリで泊まったホテルです。パンテオンのすぐ横という絶好のロケーションにもかかわらず、150ユーロとリーズナブル。
カルティエラタンやシテ島など歩いてすぐいけるのでとても便利。
パリでは、色々なホテルやお店を見ているだけで色使いの勉強になります。
ここのエントランスは私の好きなこげ茶と濃い紫とクリーム色。
あとで気付きましたがインターネットで予約するとだいぶ安くなります。
Hotel des Grands Hommes
17 place du Panteon 75005
phone 01 46 34 19 60
ホテルの内装はこんな感じ。壁紙も布で張ってあって、ヨーロッパはテキスタイルの文化だな。と思った。
アジアだと織物の織り具合とか織り方を最大限に見せて、それを切ったりするのは言語道断、出来るだけ切らない形で巻いたり、くるんだりして大事に着るわけで、こうやって贅沢に壁紙に張ってしまうなんてすごい。
立体裁断のように布地をざくざく切ってしまえるというのは産業革命とかで
布地が大量に安く買えたから?
This is a ship called dau.
このボートはドバイのグランドハイアットの大ロビーの天井にくっつけてあるもの。何トンだったか忘れたけれど相当重いらしく、落ちてきたら大変なことになるらしい。こういうボート型した花瓶や、オブジェなんかをドバイでは結構見かけるのですが、だいぶたってから納得。昔のドバイの主な産業は、真珠の養殖と、ダウと呼ばれる木造船の造船だったそう。
そういえばオイルマネーをふんだんに使った金ぴかぴかの砂漠の町の中で唯一文化的なにおいを感じたのがクリーク(運河)に浮かぶダウ船を見た時。近くに寄ってみると昔の冒険ものの絵本に出てきそうな船に真っ黒に日焼けした印度人らしき労働者が、砂糖や油などの生活雑貨をつめた箱をがんがん船に乗っけている。聞いてみるとソマリアや東アフリカ地域に物資を輸送しているらしい。船には油がギトギトにぬってある。たしか鮫かなにかの油をぬる昔の手法をいまだに使っているらしい。昔のドバイってなんにもない砂漠の小さな小さな港にこんな冒険物語のような木造船が停泊する街だったのです。。
そう考えるとドバイのローカルの人々があんまりフレンドリーでもなく、これだけ外国からの観光客も、労働者も集まる国際都市の割には排他的な雰囲気で、外のこと、外国のことにはまったく興味がない。。
という雰囲気をかもし出しているのも仕方がないことなのかもしれない。。そうそう、もともとドバイが発展したのは、当時中東の国際都市レバノンのベイルートが内戦でぼろぼろになってしまったために、いろんな都市機能がドバイに移されたと聞いた。レバノンが内戦していなかったら、きっと今でも、ドバイは砂漠のひっそろとした街だったに違いない。
view from my room
8月11日から中国に来ています。11日に香港到着。真夜中に空港について、シャトルバスで九龍へ。 はじめは「どうせ一泊だから重慶大夏チョンキンマンション(九龍にある、格安宿屋街)に泊まる。どうせ寝るだけだし、昔とまったことあるし。。。」と香港政府で働く香港人の友人に言ったら「お願いだからそれはやめてくれ。。旅行会社を通したら安なるから。。」と言われて泊まったホテルがマルコポーロ 香港ホテル。たったの70USDくらいでかなりいい部屋だった。。 次の日はゆっくりしてから、中国本土行きのフェリーターミナルへ。。。 もう3年ぶりくらいに歩く香港の町はなんだかこざっぱり東京のようになりつつあり、昔のあの泥臭さ、熱気が が減ってしまった気がした。 珠海行きのフェリーを探す。。。
16日にマカオその後また珠海に戻って、バスで広州まで来た。
ルアンプラバンお勧めの宿 SALA PRABANG Boutique hotel
ラオス人で10代からオーストラリアに移って建築を学んだシンラソーンさんが作ったホテル。
細部まで神経が行き届いた見事なコロニアルスタイルのブティックホテルで、ラオスそして、この町ルアンプラバンへの深い愛情が感じられます。メコン川沿いで、部屋からも川が見渡せる一押しの宿です。とってもすてきなのでルアンプラバンでは是非とまってみてください。
きっと幸せなひと時が過ごせますよ。
住所
Mekong Riverside Road 102/6 Thanon Ounkham
Xien Mouane ,Po BoX 902 Luang Prabang Laos
電話
+856−71252472
それでは楽しい御滞在を!
このボートはドバイのグランドハイアットの大ロビーの天井にくっつけてあるもの。何トンだったか忘れたけれど相当重いらしく、落ちてきたら大変なことになるらしい。こういうボート型した花瓶や、オブジェなんかをドバイでは結構見かけるのですが、だいぶたってから納得。
昔のドバイの主な産業は、真珠の養殖と、ダウと呼ばれる木造船の造船だったそう。
そういえばオイルマネーをふんだんに使った金ぴかぴかの砂漠の町の中で唯一文化的なにおいを感じたのが
クリーク(運河)に浮かぶダウ船を見た時。近くに寄ってみると
昔の冒険ものの絵本に出てきそうな船に真っ黒に日焼けした印度人らしき労働者が、砂糖や油などの生活雑貨をつめた箱をがんがん船に乗っけている。
聞いてみるとソマリアや東アフリカ地域に物資を輸送しているらしい。船には油がギトギトにぬってある。たしか鮫かなにかの油をぬる昔の手法をいまだに使っているらしい。
昔のドバイってなんにもない砂漠の小さな小さな港にこんな冒険物語のような木造船が停泊する街だったのです。。
そう考えるとドバイのローカルの人々があんまりフレンドリーでもなく、これだけ外国からの観光客も、労働者も集まる国際都市の割には排他的な雰囲気で、外のこと、外国のことにはまったく興味がない。。
という雰囲気をかもし出しているのも仕方がないことなのかもしれない。。
そうそう、もともとドバイが発展したのは、当時中東の国際都市レバノンのベイルートが内戦でぼろぼろになってしまったために、いろんな都市機能がドバイに移されたと聞いた。レバノンが内戦していなかったら、きっと今でも、ドバイは砂漠のひっそろとした街だったに違いない。